いよいよ今月から令和(れいわ)に改元です。元号「大化」から248番目となり、これまで中国の古典からのものが、今回、初めて日本最古の歌集「万葉集」の「初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かおら)す」という一節から取られたとのことです。
「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められています。平和で人々が幸せに暮らせる世の中でありたいと願うばかりです。
ところで、美里町にも万葉集ゆかりの地があります。
万葉集巻九には「三栗(みつくり)の中に向へる曝井(さらしい)の絶えず通はんそこに妻もが」とうたわれた「さらし井」の遺跡と、巻二十には、「まくら太刀(たし)腰(こし)にとりはきまがなしきせろがまき来む月のしらなく」と、妻である真足女が防人の夫を想い詠んだ歌で、万葉遺跡伝(でん)大伴部真足女(おおともべのまたりめ)の歌碑が、いずれも鎌倉街道沿いの大字広木地内にあります。
このため、美里町を万葉の里と呼称し、駅伝などの冠として使っています。
さて、新元号「令和」の出典となった日本最古の歌集「万葉集」がブームになり、書店での関連本が売り切れ、出版社も増刷を決めたとのニュースが流れています。
このブームにあやかり、万葉の歌碑や鎌倉街道を訪れる人が益々増えるものと思います。改めて先人が残した自然や遺構、自然豊かな景観を後生に引き継がねばとの思いを強くしました。