昭和29年10月1日に東児玉村、松久村、大沢村が合併し、今年で64年になります。合併時の人口は1万3、638人と、今より2、400人も多い人口でした。
合併後の新村名は、住民に決めてもらおうと公募し、三村合併促進協議会で「美里村」、「山里村」、「三栗村」を投票で選出、その後村内全世帯に選んでもらい、美里村が選ばれました。
住民の大部分が農業を営んでおり、将来も平和な農村として発展したいという意味が込められています。
現在、美里町は日本全体同様、少子化・高齢化・人口減少という時代の転換点の中にあります。しかし、私の役目は、例え景気が悪くとも、人口が減り高齢化しても、住民の皆さんが豊かに、幸せに暮らせる地域を創ることだと思います。
ところで、町外のかたから「良い名前の町」とか「ビューティフルタウンですね」とか言われます。寄居スマートインターチェンジや美里産業団地の完成が目前に迫り、一部で都市的な開発が進んでいますが、大部分は農地と里山です。この先人が大切に守ってきた資源を持続可能な形で地域経済循環の中に位置づけ、税収や雇用のための企業誘致も進めつつ、平和な田園の広がる農村として発展できればと考えています。
しかしながら、莫大な借金を次の時代の人に負わせるわけには行きません。身の丈に合った施設の維持・更新と将来を展望した施策を組み合せ、先人の思いを引き継ぎたいと思います。