誰しも卒業した学校の校歌は、そのメロディーが始まると、条件反射的に、自然と心に入ってきます。不思議なもので、他校の校歌では感じることのできない気持ちです。
美里中学校は、1966年に松久中学校と大沢中学校が廃され美里村立美里中学校が発足し、翌年、東児玉中学校が統合して現在の形となりました。
3校が一度に統合したわけではく、校舎の建築は翌年1967年に完成していますので、最初の卒業生は美里中学校卒業にもかかわらず、統合した校舎で授業を受けたことがないようです。
校歌は、1968年1月15日に制定されました。作詞は金井政一氏、作曲は私の恩師でもある持田照代先生です。
私が美里中学校に入学した当時、持田先生は音楽の先生でもあり、別クラスの担任でもありましたが、校歌は何度と繰り返して歌ううちに自然となじみ、特に思い入れはなかったと思います。
時は過ぎ、町議会議員、町長として卒業式や入学式に招かれると、体育館の舞台左壁面に一字一字手彫り文字の校歌が掲示され、作詞作曲者名を改めて確認することとなります。
私の年代の同窓会は、4年に1度オリンピックの年に開催されており、持田先生も毎回参加してくださいました。同級生には建築など生活全般に関係する職業の教え子が多かったので、先生も頼りにしていたようです。
先生が昨年旅立たれた際は、同級生で送るとともに、先生が愛用していたグランドピアノを中学校に寄贈できたらとの話となり、今年、無事、美里中学校2階にストリートピアノとして設置されました。恩師であり、校歌の作曲者でもある先生のピアノが、美里中学校の生徒を見守ることに感慨深いものがあります。
ところで、美里中学校が発足して今年59年目、卒業証書の最後の番号は8530号でした。
3月議会で小学校3校の統合時期を令和11年4月1日とする条例を可決いただき、小学校の統合と小中一貫校の開校に向けた準備が始まります。これまでの歴史を大切にしながら、次の時代の子どもたちがより良い学びを得られる環境づくりに、しっかりと取り組んでまいります。